時は戦国時代、日々の戦闘の中、間者(忍者)は忍術の開発に余念が無かった。
そして火遁(かとん)の術といった、
火や光を扱うものは忍術の中でも効果が高いとされ、
使いこなすにも高度な技術が必要だったとされている。
中でも閃光を発するのは、目くらまし・目潰しの術として特に研究・開発されていた。
これを実用化したのが、真田昌幸に仕えた栖瀞坊(すとろぼう)である。
彼は燧石(すいせき)を使用し、一瞬で強烈に点灯する光源を編み出した。
但し強すぎる光は目潰しに有効ではあるものの、
忍者として目立ってしまうことになる。
そのため、この忍術はやがて使われないようになってしまったと言う。
今ではカメラなどの光源に使われる「ストロボ」の名に当時の名残が見える。
また彼が水遁の術で水中に潜るために使用した管は、「ストロー」と呼ばれているのは周知の事実である。
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