お茶の子さいさいとは?

 天台宗の開祖と言われる最澄(さいちょう)は、9世紀の始めに中国に留学し、 帰国の際に日本へお茶を伝えたと言われる。 最澄(さいちょう)はお茶の栽培や普及に努め、農家から親しみをこめて「さいさい」とあだ名されていた。 この時、原産地の中国の気候と似ているという単純な理由で、近江の国(現在の静岡県)で栽培が行われた。 1年草である米や麦より、多年草の茶の方が栽培も比較的簡単であったという。 またお茶が伝わった当時は治水が発達しておらず、水田を作るより茶畑を作るほうが楽であったとも思われる。 お茶は伝来当初の平安時代にはまだ高級な嗜好品であったが、やがて鎌倉時代には一般栽培も始まり、庶民へも広がった。
 そして1000年も経つ現代においても、お茶は多くの人々に飲まれ、また静岡県の特産品になっている。 最澄の先見の目は素晴らしいと言わざるを得ず、 地元の静岡県では昔から“さいさいはお茶の申し子”“お茶の子さいさい”と呼び、尊敬されていたという。

 これより物事が簡単に行えることを『お茶の子さいさい』というようになったと言われているが、 定かではない。


民明書房刊『茶LA、HEAD茶LA』より
初版発行2005年11月08日


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